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びーちこブログ・海辺で出会った拾いもの、アレコレ。。。
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緑二重線湯飲み
        

地元・神奈川で出た緑二重線の食器、いわゆる国民食器の湯呑み2つ。その出所は、左は戦前に海軍の軍艦を造る造船所があった場所の近く。一方、右はかつて海軍航空隊や海軍航空技術廠のあった場所の近くで、言ってみればどちらも海軍の本拠地の1つ、横須賀鎮守府のお膝元というわけだ。そんな場所だから、当時は街のあちこちに軍やそれに関わる企業の工場などが軒を連ねていたのだろう。これらの湯呑みはその中の1つで使われていたものかもしれない。2つは緑二重線の色や入り方が微妙に違うものの形はどちらもほぼ同じ。表面の仕上げや釉薬の塗りなどやや大雑把で、時代を感じさせる。また左のものには底に統制番号がある。とっても不明瞭で判別が難しいのだけど、生産地を示す記号は「瀬」で間違いないだろう。番号の方は三桁で「386」「886」のどちらかと思う。3枚目の写真は1枚目の左の湯呑みと、以前に紹介した形の違う緑二重線湯呑みだ。残念ながら左の湯呑みが出た場所は埋め立てられてしまった。神奈川の沿岸部は古い歴史を持つ街も多いけれど、その多くが開発も進んでいる。あのコンクリートの下にはたくさんのお宝が眠っているんだろうな…。


          
          
ロゴ・エンボスの陶製壜
            

前回記事のコバルトブルー壜を拾った同じ日、同じ場所で、最初に巡り会ったのはこの壜。通り過ぎた場所をふと振り返ったら、泥の上にこの壜が顔を覗かせていたんだ。灰白色の釉薬がかけられた陶製のガラス代用壜。高さは6センチ、底の直径は3センチの小さな壜だ。とても丁寧に作られている感じで、その特徴は何と言っても胴体に刻まれたロゴマークのエンボス。「KJK」なのだろうか。右側の「K」は左右対称になるようにひっくり返してデザインされている。何が入っていた容器なのか想像もつかないけれど、ちょっとお洒落な雰囲気がある。化粧品関係か、薬でもちょっと値段の高いもののようにも思える。この陶製壜の特徴はもう1つ。底を見てみると、おそらく製品に関わる「20」という数字と、統制番号「瀬478(4は不鮮明)」と読める数字が刻まれていることだ。統制番号があるので戦時中に作られたことは確かだが、作りの丁寧さやローマ字が使われているところから、昭和16年くらいに作られたものではないだろうか。いったい何が入っていたのか興味をそそられるし、小さくてとても可愛らしい陶製壜だよ。


          


どっちつかず?……海山日和
お洒落な代用品
          

よく行く海岸のすぐ近くにある一角。ほとんど何も出たことないのだけど、以前に一度陶製レートを拾ったことがある、そんな場所。先日、久しぶりに覗いてみたら、こんなものを見つけた。陶製の代用壜。しかも番号入りだ。高さは11センチ、底の長径5センチ、短径3センチの少し平たい形。口の端が欠けているのと、1本大きなヒビが入ってはいるものの、とりあえずは形を保っていて状態としては上出来。陶製のガラス代用容器は稀に拾えるけれど、統制番号入りとなるとさらに希少。個人的に拾うのを憧れている分野でもあるから、かなり嬉しい拾いモノだ。統制番号は「セ82」。りちょうけんさんのブログ『陶製陶器図譜』で見てみたけれど、該当する番号はなかった。


        

でも、今回の代用壜で特筆すべきは統制番号ではなく、その洗練されたデザイン。滑らかな曲線のフォルムを持つ壜は、とても戦時中に作られたものとは思えない。質は厚めにしっかり作ってあるようだけど、軽やかに見える。口のスクリュー部の作りも細やかだ。デザイン性の違いは、以前に拾っている陶製代用壜と比べても明瞭。おそらく今回の壜は化粧品用に作られたモノだろう。いや、そうに違いない。戦時中だけに化粧品は贅沢品だし、まして容器のデザインにこだわるようなモノとなれば、生産数もかなり限られていたと思う。湘南三浦あたりは軍事基地も多く、軍幹部、高級将校なども多くいたはず。あるいはそれらの人や家族向けに大手メーカーが生産したものなのかも。


            

しばらく放置していましたが、こちらもぼちぼち再開します。よろしくお願いいたします。
国防の杯
       

よく出かける海岸で拾った杯の欠片。パッと見て武器らしきものが型押ししてあるので、よくある記念杯(写真4)かと思った。大きさは本体の約1/2だけど、なかなかいろんな要素が詰まっている。まずは文字。縦に「国防」、その横に右書きで「挙国一致」。うむ、この感じでは徴兵明けに配る記念杯とはちょっと思えない。むしろ国威発揚的な商品だったのかも。その下にあるのは銃だけど、この形は普通の歩兵銃ではない。銃身の先に二股の脚があるのは、地上に置いて使用するためのもの。簡単な絵柄のようで妙にリアリティがある。きっと何かモデルがあるに違いないと思って調べてみると、どうやら十一年式軽機関銃らしい(Wikiに出ていた写真とそっくり!)。これは旧日本陸軍が初めて開発採用した軽機関銃で、大正11年から第二次大戦前までの主力武器の1つとなっていたらしい。


        

右側には日の丸を付けた飛行機。機関銃に比べると割と簡単な表現だけど、これは予科練の赤トンボかな? 左側はわずかに型押し絵柄の端が見えているけど、それが何かはわからない。でも、その下、機関銃の銃口近くにちょっとおもしろいものがあった。茶色っぽい何かがついていて最初は錆汚れかと思ったけど、よく見るとこれは◯許マークだ。戦前、インフレ抑制のため昭和14年9月に価格等統制令(九、一八 停止令)が施行され、昭和15年6月から価格統制品にいくつかのマークが付けられた。有名なのは◯公マークがあるけれど、◯許マークもその1つ。「商工大臣又は知事の許可をうけた価格」を意味している。この杯に付けられたのは「◯許27413」のようだ。絵柄の兵器がやや古いことと、◯許マークがあることから、この杯が作られたのは、昭和15〜16年頃かな?


        

ちなみに記念杯は以前にいくつか紹介しているけど、まだ未紹介のものがあったので、ついでに披露。旭日旗と日章旗、それに「祝」の字。周りに散っているのは桜の花びらだろうか。やはり上の杯とは雰囲気がずいぶん違う。


        
P.の系譜
       

しなやかに流れるような「P」の文字。単純でいながら、しっかりとした存在感があるこのロゴを抱くものと言えば、ここでも何度か紹介したパピリオ化粧品の容器だ。このロゴデザインは、洋画家であり装丁家でもあった佐野繁次郎の手によって生み出されたもの。数十年を経た今でもその魅力は色褪せることがない。これまで、ビーチコーマーの間で拾われてきたのは、僕も2つ拾っている四角い陶製容器。これは、りちょうけんさん陶片狂さんの調査により、戦後の昭和30年代くらいに作られたものらしいことがわかった。ところが、パピリオにはあの青いロゴ入りの円筒形の陶製容器があることもわかった。りちょうけんさんの記事では、黒い紙ラベルがついた円筒形の陶製容器が出てくる。ロゴのデザインは同じで、底には「岐 1103」の統制番号入り。でも、あの青い吹き墨のロゴはない。

         

そして、今回拾ったのが、この青い吹き墨のロゴが入ったパピリオ陶製容器だ。前に2個目の四角形パピリオ容器を拾ったのと同じ海岸で、先月少し風が吹いた後に拾うことができた。まぁ、残念ながら見ての通り半分近くが欠け落ちた状態のものだけど、あのロゴの部分が残っていたのは幸いだった。おまけに底の部分も残っていたのは大きい。地の雰囲気はりちょうけんさんの記事のものとは雰囲気が違い、むしろ四角い容器の方に似ている。

            

りちょうけんさんの記事に載っている円筒容器は、統制番号があることから戦前(戦中)に作られたものであることがわかる。では、この青いロゴがプリントされた円筒容器はどうだろう? 底を見てみると、あった! 統制番号「岐 1169」だろうか。これで円筒形の陶製容器は戦前に作られたものであり、そして「P」のロゴも戦前にデザインされて既に使用されていたものと、そう断言しちゃっていいんじゃないかい? む〜ん、でも今回の発見でこの魅力的な小瓶の奥深さがわかったし、より一層円筒形容器の完品に出会いたい気持ちが強くなったぞ(笑)


             
Simple Cylinder 簡単な円筒
     
直径3センチ弱、高さほぼ5センチの、円筒形の陶器。千葉のとある海岸で見つけ、近くのハケっぽい場所を掘ったらさらにいくつか出て来た。サイズはどれも一緒で、作りは粗雑。現代の量産品とは違って、どれひとつとっても同じものがない。全体に釉薬がかけられているけれど、中には底だけ素地のものもある。写真には撮っていないけど、一緒にボロボロになった平たいコルクが出てきたので、使用時はコルク栓をしていたのだろう。


        

どれも皆同じようで、どれも違う。でも、はっきり1つだけ共通していることが、底にある。それが統制番号「セ 441」だ。これは統制陶器だったのである。統制陶器と言うことは戦時中の代用品と考えられる。でも、こんなに小さくて単純な形の容器になにを入れたんだろう? ふと思いついたのは、その場所は薬品壜や薬品アンプルらしきガラス片が多く落ちていたこと。ということは病院関係のゴミが捨てられていた可能性が高い。あるいは、この容器も病院で使われたものかも? 戦時下だし、来院者に渡す錠剤くらいなら、入れても大丈夫じゃないか。液体はさすがに無理だったと思うけど…。 下は今年の春頃、鎌倉の海岸で拾ったもの。同じ容器の破片だ。これがどういう使われ方をしたかはわからないけど、こんな簡単な円筒容器でも便利に広く使われていた時代があったんだな…。


        
白磁のインク瓶
       

昨年の春頃に千葉のとある海岸で見つけた。最初目にした時には日差しに白く輝いて見えて、てっきりシュガーレスガムかサプリメントの入ったプラケースかと思った。しかし、手に取って見るとそれはなんと白磁の容器。デザインからするとインク壜か墨汁壜のようだ。大きさは胴体が高さ37ミリ、幅43ミリの若干潰れた立方体。首まで入れると高さはちょうど50ミリ。口の外径は25ミリだ。釉薬が少し不均一なところはあるけれど、とても丁寧な作りだ。同時代の同じようなガラス代用の陶製容器は数あるけれど、これは釉薬が白くてちょっと気品も感じちゃいます☆


             

裏側を見ると、うっすらと凹印が押してある。文字も小さく読みにくいのだけど、どうやら「セ484」らしい。となれば、まず調べるのはリンクにもある、りちょうけんさんの「時のかけら〜統制陶器」と「統制陶器図譜」。すると、陶製のインク壜らしきものはあるけれど、同じものはない。ふふふ…あのりちょうけんさんも持ってないものをゲットしたかも?なんて思いながら、ネタ温存のために写真だけ撮って放置してました。したらば!なんと先日、久しぶりに「時かけ…」を見たら載ってるではないですか !! りちょうけんさんのものは胴体の釉薬に貫入が入っているけれど、色もデザインも、そしてなんと言っても陶製番号が同じ。勿体ぶってたら先越されました(笑) 


        

衣病の緑二重線
       
       

今年の春に同じ干潟で拾った小皿。1枚は緑二重線の国民食器だ。どちらも大きさは95ミリ。以前に拾っている緑二重線小皿よりも一回り小さい。国民食器といえば戦前、国策の一環として?主に工場や軍隊向けに生産されたものとして知られている。前回拾ったものは第二次大戦中に作られた統制陶器でもあった。今回の緑二重線小皿、裏を見るとうっすらと後絵付けの文字が剥がれた跡がある。文字は「衣病」。意味不明の言葉だけれど「病」と付くからには病院関係だろう。そしてもう1枚。白い方の小皿にはマーク風のデザインの中に「横須賀共済病院」の文字がある。同じ場所で拾ったものだけに、これはヒントになるはず。早速、調べてみた。


        

横須賀共済病院は、現在も営業している国家公務員共済組合連合会が運営する病院。その前身は戦前、横須賀にあった海軍工廠職員向けに作られた病院で、戦時中は横須賀海軍共済病院という名称だった。次に「衣病」だが、こちらは同じ横須賀市の衣笠にある衣笠病院に行き当たった。この衣笠病院、現在は日本医療伝導会というキリスト教系団体が運営しているのだが、その前身は横須賀海軍共済病院衣笠分院だったのだ。終戦後に一度廃院になったものを、地域の医療施設不足からGHQによって施設が払い下げられて衣笠病院が設立されたらしい。衣笠病院の設立は昭和22年。となると今回紹介している緑二重線の小皿は、戦前、戦中ではなく、戦後に使われていたことになる。緑二重線の国民食器は戦後も作られていたらしいのだが詳細はよくわかっていないらしい。でも、これは1つの大きな証拠品になるだろう。白い小皿の方は同時期か、それより後に使われていたものだろう。


            

ちなみに、欠片だけだけど上の写真のような緑二重線ものも拾っている。何かの容器の蓋と思われるけれど、そこには「横共病」の文字に「KR」の文字があるロゴマーク。これは白い小皿の方にあるロゴマークとほぼ同じなので「横共病」は横須賀共済病院のことだろう。ロゴマークの「KR」は国家公務員共済連合会の略称が「KKR」ということなので、共済連合会を指すと思われる。これも緑二重線が戦後長く、少なくとも昭和20年代の間は使われただろう証拠と言えるのでは? 春の干潟は大当たりだったのだけど、その中でもこの小皿たちは興味深い発見だった。
レートクレームの真実は?・伍
    

先日の「Room'10」の記事写真の中で、カラーボックスの2段目に写っていたのは、実はレートクレームのシリーズだったのだけど、そこまで気がついた人はいるかな?(笑) 今回のレートクレームは陶製容器。少し前にあかずきんさんが拾われていたけれど、この春に僕も3個目の陶製レートを拾うことができた。写真1枚目で右がその容器で、3度目の正直でついに拾えた統制番号入り。干潟の泥の中に口の輪郭だけ見せて埋まっていたのを、何気なく(どうせ割れた陶器の高台だと思って)蹴っ飛ばしたら出てきたというわけ(笑) 左が以前に拾った番号なし。手前は少し前に拾えたこの陶製容器の蓋だ。番号入りと番号なしを比べると、大きさ(底径55ミリ、高さ45ミリ)は変わらないが、番号入りは明らかに作りが薄くて軽い(左右2つの容器の口縁部分に注目してみて。番号入りはそのまま胴体部分もかなり薄くなっている)。


    
2枚目は蓋を乗せてみたところ。番号なしのものには合わず、番号入りのものにフィットした。蓋は番号入り容器用に作られたものだろうか。今回の容器に入っていた番号は「岐720」。りちょうけんさんの「統制陶器図譜」にも載っているモノだ。統制番号入りの陶製レートは骨董市などにも出回っていて、むれ子さんmimi_daikonさんも購入されている。こちらの番号は共に「瀬538」。この「瀬538」にはこんな例もある。今のところ確認されている番号入り陶製レートは「岐720」と「瀬538」だけのようだけど、番号が違う容器を比べたりするとまた新たな発見があるかもね。レートクレーム奥が深すぎ!(笑)


    
山ツの陶製おろし金
    

このブログで陶製おろし金の記事が出るのは3回目。その3回目にして完品の登場。これは昨年の秋に拾ったモノだ。陶製のおろし金は金属の代用品といわれていて、前回の記事で統制番号入りを紹介しているように、特に戦前に数多く作られたようだ。形は単純。四方を囲んだ長方形で、引っ掛け穴とか凝った意匠はまったくない。必要最低限のデザインといった感じ。型か何かでポンと成形した大量生産品のような感じもする。使い勝手はそう変わらない気がするけど、ちょっとおもしろみがないかな〜。


    

表側には明るい灰色の釉薬がかけられているが、裏側は無釉で素焼きのままの感じ。統制番号はなく、表側の上には楕円の中に商標らしき「山ツ」マークと「特製」の文字。となると、昭和16年以前か、あるいは戦後のもの。戦後としても陶製なら昭和20年代くらいか。アップで見てみると細かい網目のような模様ができているけど、これは型の跡? 何にしても完品となれば貴重な資料になるので大事にしておきたい(と言いつつ、ほかの拾った小物に既に埋もれつつあるけど…笑)


    

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