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びーちこブログ・海辺で出会った拾いもの、アレコレ。。。
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実在しない風景
       

先月の千葉行きでは、久しぶりに完品の水滴も拾えた。絵柄は以前にも拾っている皇居正門付近の風景(右側が以前に拾ったもの、今回のものは左側)。手前の二重アーチの橋は、僕自身も二重橋と勘違いしていた正門石橋。二重橋とはこの奥側にある正門鉄橋のことで、木製だった時代は橋桁が二重だったことに由来する呼び名だそうだ。背景に見えているのは旧江戸城の伏見櫓。でも、よくよく見ると今回のものは絵柄が前のものと左右が逆! 正しいものは右側の前に拾ったもので、これは画像検索すれば一目瞭然。つまり実在しない風景なのだ。それにしても水滴って、主に戦前に使われていたと思うのだけど、皇居の風景が逆版の商品なんて売ったら不敬罪に問われなかったのかな?(笑) 


         

今回のもの、上面の大きさは長辺60ミリ、短辺45ミリで、以前拾ったものより2〜3ミリ大きい。そして高さは28ミリで、5ミリほど高い。藍色も以前のは明るい色だったけれど、今回は濃い目の色という部分でも違いがある。



秋の花散歩……海山日和
明かりを灯して
        
        

すっかり放置中にも関わらず、たくさんのアクセスありがとうございます。このままでは今月更新無しになりそうなので…気力を振り絞ってとりあえず一ネタ。この春の干潟歩きで最大の成果。灯明皿の完品が出たよ! これまでに惜しい感じのものは拾っていたし、小さな欠片は時々見かけていた。でも、前にこのブログで灯明皿を紹介したのが2009年だから、実に5年の歳月を経て、やっとのことで完品と巡り会えた訳だ。さて、この灯明皿。時代は一般に江戸時代のものと言われていて、実際、同じタイプのものが江戸時代の近世遺跡から出土している。内側にある敷居に切れ込みがあるこの皿は下皿といい、これに普通の平皿タイプか、同じような形で内側の敷居に切れ込みのない上皿を載せて使う。上皿には菜種油を入れ灯心を浸して火を灯すのだが、ふたつの皿を重ねて使うのは、上皿の縁にかかった灯心から垂れる菜種油を下皿で受け止めて、油を無駄なく使う工夫なのだそうだ。でも、不思議なのは、これまでに見たり拾ったりしたのは下皿ばかりで、上皿らしいものは欠片すら拾ってないんだよね〜?


         
今回のこの灯明皿、直径は75ミリ、高さは18ミリ。海岸で見かけるのはだいたい似たようなサイズだけど、おそらくは使う場所、行灯などの大きさに合わせて、いくつかのサイズがあったのだろう。産地は美濃や瀬戸らしいけれど、詳細は不明。上面には鉄釉?がかけられていて、底面は素焼きの部分が残る。白い斑点は、海中で付着した石灰藻。さすがに縁は擦れて釉薬が剥げた部分があるが、割れ欠け、ヒビもなく、何とも麗しい一品だ。それにこの灯明皿が、可能性は感じながらも、歩き始めてからこれまでの数年、何も出なかった場所で拾えたもの、嬉しかったな(笑)


陶製のメヌマポマード
            

先月の海岸散歩で見つけた、久しぶりのメヌマポマード。発売元は戦前の大手メーカー、井田京栄堂で、ガラス瓶タイプは白ガラス、黒ガラスなど、けっこういろいろな人に拾われているようだ。しかし、陶製瓶となるとけっこうレアなものになる。このブログでは、過去に統制番号入りの陶製瓶を紹介しているけれど、今回はそれとは少し違うタイプだ。今までに拾ったものだと、材質はこの欠片に似た感じかも。前に拾ったものより、やや材質が脆いのか、置かれてきた環境がより過酷だったのか、口の周りや底の縁はボロボロ。同じタイプを陶片狂さんが拾われているけれど、同じような傷つき方なので、やはり材質の問題なのかも。大きさは底の直径64ミリ、高さ37ミリ。横にステンシル?で書かれた「MENUMA POMADE」の整った文字。統制番号など、それ以外の文字情報はなかった。


          
雄岳の野菊
        
        

六角形で直径55ミリの、簡単な料理や薬味などを入れる小鉢。これは少し前に紹介した國務大臣の杯と同じ時に拾ったものだ。ごくわずかに石灰藻が付着している程度で、傷ひとつない美品とも言える完品。でも何だか微妙〜っ(笑) 何というか陶片などをよく拾っている方ならピンと来ると思うけれど、いかにも時代が若そうな雰囲気があるのだ。でも、わずかにもしかしたら古いのかも?と思わせる感じもあるから始末が悪い。絵柄は野菊と…その横の黄色いのは小さい花が集まった花序を表しているのだろう。オミナエシとかそんなものだろうか。拾ったのが秋だし、秋の花が綺麗に咲いているとなると見捨ててもおけず、持ち帰った。高台には「久谷雄岳」の文字。ネット検索すると、同じ文字のついた器がオークションなどに出品されている。さらに調べると久谷焼きの作家・東忠雄氏(雅号が雄岳)が開いた雄岳窯陶房という窯があり、氏は現在も活躍中のようである。この小鉢がそこの作品であれば、びーちこ成果としてはちょっと悲しい現代物なわけだけど(推察すると昭和40〜50年代くらいのもの?)、好きな野菊の絵柄だし机の片隅にでも飾っておこうと思う。


         


彗星はダメだったけど……海山日和
國務大臣
        
        

先日の南房行きで拾ってきた、直径67ミリの白磁の杯。縁に欠けもあるし、もの自体は大したものではないのだけれど、そこに記された文字が興味をそそられた。だって「國務大臣」ですよ?(笑)そして、その大臣さんは「水田三喜男」さん。ご丁寧に名前が書いてあったので、簡単にその正体は判明した。水田三喜男(1905〜1976年)は、千葉県安房郡曾呂村(現鴨川市)出身の衆議院議員。1946年に初当選し、1954年第4次吉田内閣で経済審議庁長官として初入閣、1956〜57年石橋内閣、1957年岸内閣で通商産業大臣、その後、1960〜62年池田内閣、1966〜68年第1次・第2次佐藤内閣、1971〜72年第3次佐藤内閣において大蔵大臣を歴任。なんと吉田茂や佐藤栄作と仕事をした戦後政界の大物だった(実はまったく知らなかったけど 苦笑)。またここ近年、箱根駅伝にも出場している城西大学を創立した人物でもある。


           

さてこの杯、見込みには「記念」の文字がある。表の文字からすると、水田氏が国務大臣として入閣したのを記念して、地元の後援者などに配られたものだろう。まぁ何度も大臣になってらっしゃるが、経済審議庁長官(今で言う経済担当の内閣府特命担当大臣)は国務大臣に含まれないので、それ以降の通産大臣か大蔵大臣の時のものと思われる。国務の国の字が旧字を使っていることを考えると、その字に慣れ親しんだ人がより多い頃で、しかも記念品をわざわざ作る出来事…つまり1956年の通産大臣拝命の記念品ではないだろうか。あくまで想像だけど、おかげで意外と楽しめたよ。



林下にお日さま……海山日和
鳳凰の湯飲み
        

普段はあまり行かない、地元のとあるポケットビーチで見つけた銅版転写の湯飲み。高台部分に細かい傷、本体部分にニュウがあるけれど、大きな割れ、欠けはなく状態はかなりいい。作りは甘く微妙に歪んでいて、上から見るとやや楕円形なのはご愛敬。むしろ、それも魅力の1つだろう。口の長径は72ミリ、高さ36ミリ。水色の銅版転写は花唐草のような唐草(花ではなく葉っぱ)に鳳凰の文様。時代的には大正期から昭和初期くらいだろうか。この時代の茶碗がほぼ無傷で出てくるのは稀だから嬉しいね。普通の湯飲み茶碗より小さめだったのが幸いしたのかも。


         
防3の陶片
        

海岸から出てくるさまざまな陶磁器片。最近、自分のフィールドでは出が悪くなってきたのと、自室の収納スペースが足りない現状、また自分の軸足をどこ(どの拾いもの)に置くか…という問題もあって、よほどめぼしいものでなければ拾わなくなっている。それでもこの春に出会ったこの陶片は、迷うことなくお持ち帰り決定の一品だった。陶片狂さんやrichoukenさんなら一目で正体がおわかりになると思うけれど、これは防衛食容器の蓋の欠片だ。防衛食容器とは、言ってみれば戦時中の缶詰の代用品。この中に食料を入れ、パッキングをして蓋を閉めた後に熱湯と冷水に浸すと、内と外の気圧差で蓋が取れなくなるらしい(簡易的な真空パックだね)。開けるときは蓋の中央にクギなどで穴を空ければ、そこから空気が入って蓋が取れるというしくみだ。基本の形はほぼ同じで、作られた場所などでいくつかのタイプがあったようだ(今回拾ったものの完品はこちらで)。なかなか画期的な製品で、昭和18年末からけっこう作られたらしいのだが、最終的には肝心の中身、つまり食料が確保できなくなって生産中止になったという、ちょっとトホホ…な結末だったようだ。


            


花の水滴
            

前記事の蛸舟を拾って、もう今日はこれで十分に元が取れる!なんて言っていたら、その他のポイントを回っても何も拾えない。さすがにヤバい…と思ったときに出たのが、この水滴。完品の水滴に出会うのはかなり久しぶりで、一緒に写っている「二重橋の水滴」以来、3つめだ。大きさは短径35ミリ、長径50ミリ、高さ約20ミリ。中央の空気穴に緑の縁取りと、それを囲む桃色の花びら。そして、そこから四方に広がる唐草模様で構成されている。全体は、写真では白く見えるけど、実際には淡く緑がかっている。シンプルだけど品のよい出来だ。ほかの人も拾われているようなので、比較的安価で学生さんとかが買うようなものだったのかも。
型紙摺のお茶碗
        
        

以前にこの記事でちらりとお見せしたお茶碗。その時の主役である膾皿と同じ、型紙刷りで絵付けされたものだ。型紙摺りは明治時代に技術が確立され主流となった技法だが、このお茶碗そのものは前回の膾皿同様に昭和初期に作られたものだろう。海ハケからの掘り出しもので、古そうな欠けたお茶碗が土から顔を出していたので同じ場所を掘ったところ、唯一完品で出てきた貴重なもの。ヒビすら入っていないのは奇跡といえる。


          

表側、模様の基本は微塵唐草。そこに雲のような縁取りの白窓があって、タイルのような四角枠の花文様。これって何文様というのだろう。内側は文様の縁取り(この文様の名前も忘れた…苦笑)、見込みの模様はこちらも前回の膾皿同様に、松竹梅ならぬ菊竹梅の円紋。おそらくは安い普段使いのお茶碗なのだろうけど、型紙のズレや擦れなどもほとんどなく、作りは比較的丁寧な感じがする。江戸時代までの自然顔料ではなく無機顔料(ベロ藍)を使った少し鮮やかな藍色だけど、白いご飯との相性はなかなか良さそうかもね。


          
海月の陶片
        

先日、ちょっと出かけた海岸にギンカクラゲが漂着していた。それはもう、青い貝など期待できないほどほんのわずかだったけど、漂着を確認しただけでちょっとワクワクしちゃうよね。そこで見かけたのが上の写真。丸くて淡い黄褐色の石に張り付いていた直径1センチほどのギンカクラゲだ。これを見て、パッと頭に浮かんだのが江戸陶片に描かれたあの文様(写真下)。円の周りにこちょこちょっと何か出ているような、それこそクラゲのような文様…これを火炎文というらしい。文字通り燃える炎の形を図案化したものらしいけれど、どこか太陽っぽさも感じられる。火炎文は江戸時代の陶磁器に見られる伝統的な文様。でも海岸で拾えるような雑器のものは簡略化されすぎて、元の文様すらわからなくなっているという訳だ。なんか笑っちゃうよね☆


          


大潮の夜に……海山日和

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