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びーちこブログ・海辺で出会った拾いもの、アレコレ。。。
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背文の寛永通宝
         

先日紹介したシラタマやちびウニを拾った時に、やはり同じ海岸で寛永通宝(右)を拾った。海岸で拾ったのは久しぶりで、左は昨年に陸ハケで拾ったもの。とりあえず文字が読み取れる程度の状態で拾えたのは、これで計6枚。この2つ、同じ寛永通宝だけど大きさが全然違う。作られた時代も長く、作られた場所も多様なので、さまざまなものがあるようだ。


          
          

先日、海岸で拾った方は表側は文字がしっかり読み取れるが、裏側はサビサビ(写真は少し明度を上げている)。文字を見ると宝の旧字である「寶」の字の下の払いが「ハ」の字になっているので、これは1668(寛文8)年以降に作られた新寛永通宝だ。ただ、このブログでは過去にもう3度も寛永通宝ネタをアップしているので、もう少しなにかないかとよくよく見てみたところ……サビサビになった裏側の上の部分にかすかに文字のようなものが見えた。はっきり見えるのは横線のみだけど、それを頼りに調べてみると、このいわゆる「背文」を持つ寛永通宝が何種類かあることがわかった。その中から横線に関連ありそうなものを見ると、1668(寛文8)年頃から江戸亀戸で作られた「文銭」ではないかと推定。この文銭は京都、方広寺の大仏を鋳つぶして鋳造したという噂から「大仏銭」とも呼ばれたらしい。


          

もう1つ。陸ハケから拾った寛永通宝。こちらは「寶」の字の下の払いがくっついた形なので、1636(寛永3)年から1659(万治2)年まで作られた古寛永通宝だとわかる。気になるのは、この色合い。妙に灰色というか銀灰色をしていて、今回拾ったものや今まで拾ってきたものと色合いを異にするのだ。古寛永通宝はみな銅銭だったと思うのだけど、この色合いは、もともとの材質によるものか保存状態によるものか、どちらなんだろう。



海辺の林で……海山日和
干潟からオージー
        

今年の春、地元のとある干潟で出てきた硬貨。泥を拭うと、模様ははっきりしないけどローマ字が見えた。むむっ、ゲーム機のコインか?(←実際にあるんですよ、たまに) 期待するような古銭、近代銭ではないようだけど、とりあえずキープ。帰ってからとにかく洗って確かめると「AUSTRALIA」の文字。なに?外国の硬貨?? しかしよく見ると同じ面の下側には「SHILLING」の文字。ん、シリング? 実際にオーストラリアを旅行したり、ちょっと雑学のある人ならご存じのはず。オーストラリアの通貨はAUドルだ。そこで調べてみると…シリングはオーストラリアの旧通貨単位と判明。イギリス連邦の一員であるオーストラリアは、以前はイギリスと同じポンド通貨を使用し、シリングはその下位単位(1ポンド=20シリング)。現在は10セントに相当する。鋳造されていたのは1910〜1963年までで、この硬貨は1958年鋳造の1シリング銀貨のようだ。


          

硬貨の絵柄だが、写真1が裏で写真2の方が表。裏面に描かれているのは最初何かと思ったが、雄羊らしい。これは1932年のシドニー・シープ・ショーでチャンピオンに輝いたウアードリーというメリノ種雄羊で、オーストラリア経済を支える羊毛産業に因んで絵柄として選ばれたようだ。現在の50セント硬貨でも復活し、また記念硬貨に描かれたりもしている。そして表面はイギリス連邦の盟主であるエリザベス2世女王の肖像。周囲には「DEI・GRATIA・REGINA・F:D 十 ELIZABETH・鵺」と書かれ、これはラテン語で「神の恩寵による女王(DEI・GRATIA・REGINA)、信仰の守護者(F:D=Fidei Defensor)エリザベス2世」を意味し、女王の肖像とこの文言は現在のイギリス硬貨にも描かれているとのこと。それにしても今から50年以上前の硬貨がどうして日本の神奈川県の干潟に落ちていたのだろう。何か秘められたドラマでもあるかな?(笑)



妖精を見た!……海山日和
竜の一銭
       
       
今回のものは以前より何枚か拾えている近代銭で、明治6年から21年まで作られていた竜一銭銅貨(ただし11、12年はなし)。他の古銭、近代銭に比べても数が拾えてはいたのだけど、どれも状態が悪いものばかりで、最も新しく拾ったもの(写真1〜2枚目)が一番まともだ。とは言ってもネットなどで見る保存状態のよいものに比べると天と地の差。ちょっと違うものに見えちゃうけどね(笑) 名前の通り裏面に、ぐるぐるととぐろを巻く竜が刻み込まれている。もっとも使い込まれたためか、腐食のためか、竜の姿は輪郭程度しかわからない。銘は明治16年。ほかに「大日本、10SEN」の文字が刻まれている。ちなみに竜は鱗が明治10年までは角鱗、13年以降は波鱗になっている。表側には一銭の文字と、上の周囲に「以百枚換一圓(100枚で一円に交換)」の文字が刻まれている。さすがに海岸では腐食が酷いのだけど、いつかより状態の良いものを拾いたいな。

       
        
文久永寶
    

このブログの記事、カテゴリーで根強い人気がある古銭。といっても実際にここで紹介しているものの多くは明治以降の近代銭で、本当に古銭と呼べるのは寛永通寶と宋銭だけ。ところが昨年、やっと3番目の古銭が拾えたので紹介しよう。その古銭は「文久永寶」。といっても、これ…かなり微妙な存在みたい。作られたのは幕末も幕末の1863年(文久2年)で、5年後には明治維新。しかも、それ以前に作られた鉄製の寛永通寶4文銭が不評だったことなどから急遽作られたものらしく、作られた期間もわずか数年でしかない。この文久永寶には3つのタイプがあり、文字が楷書体で書かれた真文(しんぶん)、文字が草書体で書かれた草文(そうぶん)、草書体で「寶」の字が「宝」になっているものだ。僕が拾ったのは2番目のタイプで、このタイプの字は時の老中・板倉勝静の筆なのだそうだ。直径は27ミリで、寛永通寶と比べると一回り大きい。寛永通寶の4文銭を持っていないので確認できないけど、大きさは多分同じくらいなのだろう。


    

この頃ちょっとバタバタしてまして、更新や皆さんのブログへのコメントができてませんが、ぼちぼち行きますんでよろしくお願いいたします☆
地元で寛永通寶!
    

今までこのブログでは2回、江戸の貨幣「寛永通寶」を紹介してきた。実はそれ、どちらも千葉で拾ったものだった。それが今回、ついに拾うことができたのだ。地元では鎌倉で3枚の宋銭(北宋銭)を拾っているのだけど、寛永通寶には出会ったことがなかったので、とても嬉しい拾いモノだ。写真中央のがそれで、左右は過去に紹介した千葉産。状態はけっこう錆がきてはいるけれど、はっきり文字が読み取れる。「寶」の字を見ると、下の払いが離れているので「新寛永通寶」だとわかる。千葉産の新寛永通寶は左側のものだが、よく見ると大きさが違う。直径は千葉産が23ミリで、地元産が24.5ミリ。逆に右隣の千葉産の古寛永通寶とは、大きさが同じになっている。寛永通寶は江戸時代に長期間、大量に作られた。鋳造した場所も何カ所かあったようだし、当然ながら鋳型も複数あったはず。こういった誤差は仕方ないのかもね。でも大きさが違うと、銭形平次も投げる時に微妙な違和感を感じたかも(笑)

五十銭黄銅貨
     
     

この「hiroimono」は実にさまざまなジャンルの拾いモノを紹介しているわけだけど、古い記事にも関わらずページ別アクセス数で毎月のように上位に食い込むネタがある。それは「古銭」ネタ。新しいものも拾えないしネタ切れ寸前なので温存していたのだけど、ここらで新記事をアップしよう。今回紹介するのは五十銭黄銅貨。五十銭は、戦前には銀貨が存在しているが、これは黄銅貨。戦後、昭和22〜23年の2年間だけ発行された、最後の五十銭だ。大きさは見ての通り小さくて19ミリ。現行の1円玉より気持ち小さい。今まで4枚拾っているけど、写真のモノが一番状態がよくて、裏表の絵柄がはっきりと確認できる。絵柄は桜花の枝で、文字はまだ右書き。写真のモノは昭和22年銘。もちろん現在では使用できないし、市場価値もほとんどないだろう。でも、やっぱり海岸で拾うとお宝なんだよね☆



これも自然の持つ一面……海山日和
古寛永通寶
     
久しぶりの古銭ネタ。このブログ、古銭ネタは過去6回しかないけれど意外に人気。なんと約1年前にアップした一銭銅貨のネタが、未だにページビューのベスト10圏内に入っているほどだ。 さて、今回の古銭は寛永通寶。以前に一度アップしているけど、その時に紹介したのは「新寛永通寶」と呼ばれる1668年以降に造られたもの。これは明治2年ころまで製造されていたらしいので、時代的にはかなり幅がある。今回紹介する寛永通寶は、一般に「古寛永通寶」と呼ばれるもので、1626年(寛永3年)の鋳造開始(幕府の官銭としては1636年)から1659年(万治2年)の間に造られたものになる。特徴は「寶」の字。新寛永通寶では払いの部分が「ハ」の字になっているけれど、古寛永通寶では「ス」の字になっているのだ(写真下)。寛永通寶は大量に鋳造されているため、現存する数も相当量ある。価値もごく一部を除いて、それほど高くない。でも、自分で拾ったものでは宋銭に次ぐ古さだし、何と言っても古銭はトレジャーハント気分が味わえる最高のモノ(笑) まだまだ拾いた〜い!☆


     

鳳凰の百円
    
古銭のカテゴリになってはいるけど、これ現在でも通用するお金・現代銭である。と言っても、僕が産まれるずっと?前の昭和32年に、初めて作られた百円硬貨なのだ。だから、ある意味古いお金ではある(笑) 現行の百円硬貨の絵柄は桜だけれど、こちらは鳳凰。反対側のデザインは、現行のものとはまったく異なっている。さらに違うのは、この百円、銀貨なのだ。現行の百円は、銅とニッケルの合金である白銅製。でも、この百円は銀60%、銅30%、亜鉛10%の合金になっている。作られたのはわずか2年で、昭和34年には同じ銀貨で稲穂のデザインに変更になっている。現行の桜・白銅貨の百円は昭和42年から発行されている。僕の親の世代では、そこそこ馴染みのある硬貨なんだろうな。でも、僕にとっては珍しいお金。親が百円札を保存していたのは覚えているけれど、この百円も取ってあるのかな…。で、この百円銀貨、今なら額面以上の価値があるかもぉ〜? まぁ、さすがに海岸モノじゃあ錆サビだらけだけどね(笑)


     
新寛永通寶
    
今年も残りわずかとなりました。今年のビーチコーミングを象徴する出来事と言えば、古銭に恵まれたこと。今までまったく拾えなかったのに、今年はなぜか拾えたのだ。これもその1つで、江戸時代の有名な貨幣、「寛永通寶」だ。この寛永通寶、実は明治の中頃まで使われていて、昭和28年までは法的に通用していたもの。鋳造数も膨大で、けっして珍しいものではない。鎌倉の骨董屋さんの店先で、ジャラジャラと安価で売られていたりもする。とは言え、やはり海岸で拾うというのは珍しい。しかも銅製や鉄製が主だから錆びるはずなのに、これは陸側にずっとあったのか状態は良好だ。
寛永通寶は鋳造時期が二期に分かれている。写真の寛永通寶の「寶」の字をよく見ると、下の払いが片仮名の「ハ」の字に似て離れている。これは、1668年(寛文2年)以降に作られたものの特徴で、「新寛永通寶」と呼ばれているそうだ。ちなみにこれは一文銭で、裏側に波模様が刻まれたものは四文銭になる。寛永通寶は、銭形平次が投げていたものとしても有名。でも、これが1個当たったって、普通は平気だよなぁ。あれってまさか少林拳法の指弾?(ま、物語の中の話ですけど 笑)
宋銭ふたたび
    
最近訳あって、海辺の生き物を一時的に飼育している。しかし、新鮮な海水を用意しなければならず、海に行って水を汲み汲み…。重いし面倒臭いしで、これがまた大変なのだ。
そんなある日、潮の満ちてきた和賀江島で水を汲んでいると、足元の岩の間に錆びた金属が…。丸くて四角い穴。古銭だ! それにしても、すごい錆び錆び。なので、お醤油にちょっぴりつけて、少し表面の錆を落としてみた。すると、穴の上と左に文字のようなものが見える…(写真左)。左は「寶」の字だろう。で、上の文字は…下に「王」のような部分がある。これを基に、古銭マニアのHPでたいたい北宋銭だろうと狙いを絞り、頭の文字に「王」が使われているものを探す。該当するのが「聖」と「皇」。「聖」が使われているのは、以前に拾った「聖宋元寶」。でも、その「聖」の字とは印象が違う。で、もう1つの「皇」を見ると「皇宋通寶」の篆書(てんしょ)体のものに、文字の印象がピッタリ。穴下の痕跡的な文字も、篆書体の「宋」の「うかんむり」がうっすらと感じ取れる。皇宋通寶…北宋の第4代仁宗の時代、1039年から鋳造されたもの。これで決まり!(かな? 笑)

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